光明院について

 

 

— 歴史・由緒 —



光明院のはじまり

 
光明院の創建は1572年、高野山から下ってきた快慶法印により雑賀町の地に開基されました。その後、紀州徳川初代藩主の徳川頼宣がこの地に入ると紀州徳川祈祷所となりました。この頃元寺町へ移転し、頼宣の死後、彼の隠居地が光明院に与えられました。当時から稲荷大明神、弁財天、歓喜天などの祠堂のある神仏合祀の寺でした。当時安置されていた本尊・聖観音は弘法大師の作とされ、霊験があったといわれています。

 

 

興隆と和歌山大空襲、復興へ

 
当時の光明院には本堂、大師堂、阿弥陀堂、鎮守社等の諸堂が建ち並んでいました。しかし第二次世界大戦下の「和歌山大空襲」により、和歌山市の中心部はほぼ壊滅状態となりました。この凄まじい空襲によりこれらの建物も焼滅し、その後の区画整理によりその面影を偲ぶべくもありません。その後昭和27年頃から当時の光明院住職、妙泉上人の手により順次復興されてきました。現在、本堂には聖観世音菩薩、お不動明王、弘法大師、愛染明王、釈迦如来、地蔵菩薩、神変大菩薩が安置されています。

 

 


神仏習祀の祈祷寺

 
境内には三宝荒神、金比羅大権現、九頭竜大神、白鬚神社、玉置神社などの各小祠社が造られ、往時の神仏合祀の形を保っています。


 

 

松龍山 光明院 住職
鈴木春綾(すずき しゅんりょう)


高野山普賢院 徒弟

平成27年〜令和2年 
高野山専修学院尼僧部寮監として僧侶指導育成
令和3年 
高野山真言宗 光明院 住職就任
高野山高校寮監
新義真言宗 寿福寺住職代行

阿字観瞑想指導員心得
本山布教師心得
マントラ瞑想インストラクター
宿曜経
九星気学
手相
メンタルセラピスト
促進氣功術(足踏みマッサージ)

【過去の経歴】
トヨタ自動車株式会社
スイミングインストラクター
ボートレーサー(競艇選手)
カフェギャラリー「コガネムシ」(愛知県)経営

 

高野山真言宗 光明院

〒640-8248 和歌山県和歌山市有田屋町1
TEL 073-422-0731